人を信じない方がいい話【裏切りの対処法/期待せずに、生きていく】
こんにちは、マナブです。
先日に下記のツイートをしました。
誰かを信じるのはいいですが、基本的な事実として、その人はあなたを救ってくれません。
冷たく聞こえるかもですが、結局は他人です。会ったこともなければ、話したこともなく、ネットの投稿だけじゃ、表面しか分からないと思います。なので、僕のことも信じたりせず、有益な部分だけ盗んでください🙇♂️— マナブ@バンコク (@manabubannai) September 7, 2019
冷たく聞こえるかもですが、結局は他人です。会ったこともなければ、話したこともなく、ネットの投稿だけじゃ、表面しか分からないと思います。なので、僕のことも信じたりせず、有益な部分だけ盗んでください🙇♂️
人は信頼しなくていいかなと思っています。
ちょっと冷たく聞こえるかもですが、わりかし合理的な思考です。
人を信じない方がいい話【裏切りの対処法】
前提条件:人は変わる
間違いない事実として、人は変わります。
簡単な例として、あなた自身のことを考えてみてください。
なので、ある時期は「この友人とは気が合うな」と思っても、人は変わっていくので、時間が経つと「あれ、なんか違和感があるな」と感じたりします。
これは当たり前な話なので、友人だったりと気が合わなくなっても、落ち込んだりする必要はないと思います。
それよりも、むしろ「5年くらい、交友関係が固定化されている」という状態の方がヤバそうに思ったりします。
世の中に「完全な正義」は存在しない
信頼の反対に、裏切りがあります。
しかし、世の中に「完全な正義」は存在しないはずです。
世の中は流動的なので、すべては相対的に決まります。
- 人を殺すこと → 基本的には悪。しかし戦争では正義。
- 友人を裏切る → 基本的には悪。しかし正義の場合もある。
例えば上記です。
友人の裏切りに補足すると、例えば「関係を壊すことで、両者の未来が良くなる」という場合もあると思います。
その場合だと、裏切ることは、ある意味では「正義」ですよね。
例えば「相互依存しているカップル」とかでも言えるかもです。
お互いに悪い依存関係にあり、双方の成長に繋がらないなら、未来のために「相手を裏切り、そして別れる」という選択が正義かもですよね。
ネット世界では、無闇に信頼しないこと
話をネット世界に切り替えます。
僕はTwitterでフォロワーが13万人ほどですが、たまに「マナブさんは信頼できます」と言われたりします。
もちろん言われたら嬉しいですが、とはいえ心の声では「全てを信じないでください」と思っています。
僕のことを信頼しない方がいい話
言うまでもなく、僕も多くを間違えるからです。
例えばですが、僕は「ブログ、アフィリエイト、プログラミング、筋トレ、投資」といったテーマで発信していますが、全ての知識が完璧な訳じゃないです。
なので「◯◯さんの意見だから、信じる」というのは、少し微妙です。
正しくは「◯◯さんの△△の情報は、信頼できそうだ」くらいですかね。
裏切られたときの、対処法
人生を生きていれば、1回くらいは「裏切られた…」と感じることがあるかもです。
そのときに「◯◯は最低だ」と思うんじゃなくて、相手の気持ちで考えることが大切だと思います。
同僚からの裏切りを例にする
例えばですが、状況によっては「本音を言いづらい…」という場合もありますよね。
これは仕方なく、あなたを助けたら、会社に居づらくなるかもだからです。
会社に居れなくなったら、家族が露頭に迷うかもです。
つまり、状況によっては「友人があなたを裏切ることは、正義になる」ということですね。このあたりを冷静に考えると、気持ちを整理しやすいです。
しかし、裏切られた直後だと整理不可なので、時間を空けてください。
少数なら、盲信するのもありだと思います
ここは人によりますが、僕は「少数の友人は、盲信する」というスタンスです。
要するに「裏切られても、自分は相手を信じる」ということです。
盲信する友人の条件とは
条件を綺麗に言語化するのは難しいですが、、、少なくとも「会ったことがあり、そして長い時間を共有している」という点は、最低条件です。
なので、ネット世界の交友関係の場合、言うまでもなく盲信とかはしません。当たり前ですよね。
あとは、価値観が近いという条件もありますね。
こういった感じで、約10名ほどの友人は、基本的に「盲信」というスタンスです。
人を信じなくても、デメリットはない
少数の友人は信じますが、とはいえ大半の人は、そこまで信頼していません。
こういった書き方をすると「冷たいな・・・」と思われるかもですが、別に相手に対して「信頼してません」なんて言いませんし、デメリットはないです。
通常の付き合いは続けつつ、とはいえ、そこまで深入りせずに、ゆるく繋がっておくだけでいいかなと思います。
ネットが発達したので、現代だと「ゆるい繋がり」は増えていますよね。
このゆるい繋がりにおいて、双方の「深い信頼」は不要だと思います。
補足:信頼できる友人の言葉でも、鵜呑みにしないこと
ちょっと補足というか、、、ややこしい話をします。
なにかについてアドバイスを求めるときは、近い友人&他人において、重み付けは同じでいいかなと思っています。
具体例には下記のとおり。
例:異業種から「IT業界への転職」を考える場合
- 身近な友人「ITは付いていくのが大変だよ」
- ネットの意見「これからは、ITの時代です」
- 親の意見「ITなんて不安定だから、危ない」
例えば上記の感じで、こういった場合だと「友人や親の意見を信じる」というのは、どうかなと思っています。
というのも、身近な人ほど「あなたに失敗して欲しくない=保守的な意見」を言うと思うので、これがプラスに働かない場合もあります。
なので、なにか意思決定をするときは、友人だからといって信じるんじゃなく、客観的な立場で考えるべきです。
他人に期待せず、生きていく
というわけで、今回はこれくらいにします。
他人を信頼しすぎたり、期待しすぎるのは良くないですね。
最後に下記をご覧ください。
おはようラオス🌞
働き方のニュースです。🔽台風でわかった“社畜日本”の現在地https://t.co/3A5GGkRYqA
コメント欄を見ると「会社が悪い」とか「社会がダメだ」という書き込みが多いけど、会社にしろ社会にしろ、形成するのは個人の行動です。自分から変わればいいのに、他者批判ばかりですね
— マナブ@バンコク (@manabubannai) September 9, 2019
台風でも出社しつつ「会社の連絡が遅いから、自分は出社しちゃった」といったコメントがありますが、なんというか、虚しいですね。
これは会社に期待している人の例だと思いますが、自分の意思とかは、遠く過去に置き去りにしたんですかね。
ちょっと話がズレてるかもですが、要するに「期待したり、信頼したりするのは、常に自分が良い」ということですね。
僕の場合は、少数の友達と、自分だけを信頼して生きていきます。