Written by Manabu Bannai

「一生遊んで暮らしたいです」という本音は、口に出してはならない|未来の働き方を考えよう。人生は二回、生きられる by ちきりん

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未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる|ちきりん

ちきりんの『未来の働き方を考えよう』という本を読みました。
最近では働き方に関する本がよく売れています。高度経済成長期の日本では『働くほど儲かる』という状況でした。しかし、いまの日本では『死ぬ気で働いても儲かるかわからない』という状況です。このような時代に思考停止して『死ぬ気で働きつづける』という選択肢は正しいのでしょうか?

また、日本の労働人口の減少を考えると、定年退職がいつになるのかもわかりません。昔の日本では、大企業に就職をして、定年後からセカンドライフを楽しむ、ことが実現可能でした。しかし、定年退職が70歳になったとしたら、セカンドライフをはじめる頃には、寿命も体力も残りわずかになります。

こういった時代背景を考えると、いまの日本は『過去の働き方を考え直すステージ』にいます。ちきりんが考える未来の働き方とは?今回の記事では、書籍より気になる部分を抜粋してご紹介します。

「不要なモノを捨てる」ステージ

ITの進化は、これまで圧倒的な力をもっていた国や大企業などの大きな組織から、今まではそれらに従属するしかなかった個人や、個人が集まっただけのネットワークへ、パワーシフトを起こしています。

20代から40代までは家庭を築き、子どもを育て、不動産を取得して生活の基盤を築くなど、「新たに作っていく」時期ですが、50代以降は、子離れをし、多すぎる荷物を捨てて身軽になり、自分が本当にしたいことだけに時間を使う「不要なモノを捨てる」ステージに入ります。

外に出て行く若者らの選択

つい最近まで(大半の人にとっては今も)、大企業や公務員組織に就職を果たし、ずっとそこで働き続けることは「合理的に考えて一番トクな道」でした。  

・金銭的な報酬が圧倒的に高い(給与も退職金も年金も!)  
・盤石で安定している(大企業だという理由で、政府や銀行が潰さないことさえある)  
・雇用も守られているし(解雇規制が守られているのは公務員組織と大企業が中心)  
・仕事もおもしろい(名刺力も抜群だし、権限や予算も大きい)  
・キャリア形成のチャンスがあり(海外勤務や大きなプロジェクトのチャンスが多い)  
・世間の評価も高く(合コンやお見合いや知人・親戚の評判において最強!)  
・学習機会も多いし(派遣留学や研修制度が整っており)  
・福利厚生も充実している  

と、いいコト尽くめだったからです。
これじゃあ起業したり中小企業で働くより、大企業や公務員を目指すのが合理的に考えて正しい選択だと、みんな思います。

ではそれらの恵まれた環境を捨て、外に出て行く若者らの選択は、非合理なものなのでしょうか? そうではありません。今、彼らが手に入れたいと考えているものは、必ずしも大企業で得られるものではなく、むしろ大企業を辞めることによって得られるものなのです。

たとえば、
〈大企業を辞める人が重視する価値〉  
・勤務時間や服装に求められる、日常的な規律からの自由  
・個人生活を優先する自由(恒常的な長時間労働を当然とし、有給休暇は簡単には取れないものだという不文律がある大企業は今でも多い)  
・人生の一時期、数カ月から数年単位で子育てや介護に専念したり、留学したり、退職・復職しながら働くといった、働き方の柔軟性  
・個人として意見を表明する自由(ネット上での個人の発信を規制する組織も……)  
・組織の序列からの自由(実力にかかわらず何年もの下積みが求められる)  
・やりたい仕事をやることの価値(担当業務は辞令で決まり、希望部署に異動するには、何年も粘り強く交渉する必要がある)  
・くだらない形式的な仕事に人生の時間を奪われない自由(大組織には、誰も読みかえさない会議の議事録でも、何度も練り直して上司のチェックを受けて完成させるといった、意味のわからない仕事がたくさんある)  
こういった価値観をもつ人にとっては、たとえ高給で安定していても、必ずしも大企業の社員という立場が「絶対、手放すべきではないお宝」には見えなくなりつつあるのです。

確かについ最近まで、大企業に勤め続けることは圧倒的に正しい、合理的な選択でした。
しかし今は、  
・これまで大企業が提供していた価値に、陰りが見え始めたことに加え、  
・大企業では手に入らない自由度や柔軟性を重視する人が増え、  
・長く大企業にいる人の中に、「ああはなりたくない」と思える人が多い一方、  
・会社を辞めて楽しくやっている人たちもけっこういるとわかってきた!  のです。

需要が圧倒的に大きな市場で手に職をつける

もうひとつ若い人たちの働き方に関して、「こういう働き方があるんだ!」と驚いたことがあります。2012年に、フィリピンのセブ島にある日本人向け英語学校の見学にいった時のことです。生徒は大学生と、20~40代の社会人が半々でした。大学生はともかく、社会人の方はどんな職業の人たちなのか関心があり、いろいろと話をしてみました。すると、彼らの多くは転職の合間の留学であり、かつ留学後、次の仕事を見つけることにほとんど不安をもっていない人ばかりだったのです。 彼らの仕事は大きくふたつに分かれていました。

ひとつは、医療・介護系の仕事です。
看護師や薬剤師はもちろん、介護士、保健士、医療関係の技師、理学療法士、言語聴覚士などリハビリ・エキスパートの方も含まれます。高齢化の進む日本において、現在この分野には大きな需給ギャップがあり、どこもかしこも常に求人がかかっているのです。 なので、病院や会社を辞めて留学するなど職歴に少々のブランクをつくっても、みんな次の仕事探しに困りません。こういった人たちは、語学留学だけでなく、沖縄で半年間のマリンスポーツライフを楽しんだり、もしくは長期の世界旅行をするなど、数カ月のリフレッシュ期間を経た上で、次の職場を見つけることが可能になっているのです。

もうひとつの職種は、ITやウェブ関係のスキルと職務経験をもつ人たちです。
プログラマーやウェブデザイナーとして、スマホアプリやソーシャルメディア、ゲームなどの開発をしている人たちです。  この分野も、今は失業を懸念する必要がほぼありません。数年前、技術力があれば新卒学生でも1000万円もの年収を払うと宣言したソーシャルゲームの会社が話題になりましたが、業界内では今も技術者の引き抜き合戦が続いています。この分野で一定の経験とスキルがある人なら、数カ月くらい仕事を離れても、失業リスクとは全く無縁なのです。

ポイントは需給ギャップ。
このとき私はフィリピンで初めて、こういった職業に就くことのメリットを現実に目にしました。再就職に不安のない仕事を得ると、「何年か働いたら、何カ月かは休みを取る」という働き方が可能になるのだと気がついたのです。 「若い時は必死で働き、遊ぶのは定年後にすべし」と考える人には受け入れられないかもしれませんが、世界放浪にしてもマリンスポーツや山登りにしても、できるなら定年後ではなく、体力があり感受性も強い20~30代の時に楽しめたほうがよほどいいでしょう。 公務員や大企業の社員は、一生安定した収入が得られることから人気がありますが、こういった職業では(産休など特定目的以外では)、何年か働いた後に数カ月間の休みを取り、その後また働き始める、といったことはできません。いったん辞めたら、再雇用もほぼ不可能です。

定年までの40年の間に、子育てや介護、留学や個人の趣味への没頭など、自分はこのことに是非、数カ月単位で人生の時間を使いたいと思えるイベントが発生する可能性は、誰にでもあります。けれど大組織の正社員という一直線型のキャリアでは、そんな寄り道は許されません。これに対して、需要が圧倒的に大きな市場で手に職をつければ、それとは一線を画した新しい働き方が手に入ります。それは一定期間働くごとに、リフレッシュや個人の趣味のため、そして家族のために、数カ月の休みを挟むという、いわば「間欠泉的なキャリア」です。 休みの間には、世界放浪をしてもいいし、英語留学や中国語留学を挟んでもいいでしょう。趣味の料理やアートを極めるための専門学校に通ってもいいし、男女を問わず、一定期間は子育てや介護に没頭する生活も選択できます。数カ月休んで、自力で家の改装に取り組むとか、歌手や役者になるための修業にチャレンジしてみるなど、子どものころからの夢を、期間限定で追いかけてみることもできます。

組織に一生囲われて生きる「安泰だけれど40年以上中断できないキャリア」と、「5年働いて数カ月休む」、「10年働いて2年間留学する」、「3年働いて、半年は専業主夫」といった自由度がある間欠泉的キャリア。みなさんはどちらを、好ましい働き方だと思われるでしょう?

「一生遊んで暮らしたいです」という本音は、口に出してはならない

日本では就活の時、まだ20代になりたての学生に「おまえは何をやりたいのだ」と問います。でも、そんな年齢の時に自分がやりたいことを見極めるのは容易なことではありません。加えて彼らが可哀想なのは、そこで問われる「やりたいこと」が、なにかしら前向きで、仕事につながることでないと許されないということです。「一生遊んで暮らしたいです」という本音は、口に出してはならないものとされており、なんらか大人たちに気に入ってもらえる口上を見つけねばなりません。それが「社会の役に立ちたいです」とか「人に感謝される仕事をしたいです」などという、無理矢理な言葉につながっているのでしょう。  さらに皮肉なことは、若者に「おまえは何をやりたいのだ」と問うている大人の方(たいていの場合、40代以降のベテラン・ビジネスパーソン)にも、「スゴクやりたいことは特にない」という人がたくさんいるということです。