Written by Manabu Bannai

まとめ:史上最強の哲学入門 by 飲茶

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見せかけだけの言葉

プロタゴラスから相対主義の哲学を学んだ政治家たち。彼らは、見せかけだけの言葉を上手に操り、民衆たちから人気を得る術を十分に心得ていた。彼らは、決して民衆に向かって真面目に政治の話なんかしたりはしない。だって、真面目に政治を語って、政治に興味のない民衆を退屈させるよりは、ただ耳に聞こえのいい、内容のないキャッチフレーズを繰り返した方が受けがいいに決まってるからだ。

それにライバルの政治家たちは、みんな相対主義を学んでいるわけだから、下手に「こうあるべきだ!」「こうしよう!」なんて具体的にはっきりと語ったら、相対的な価値観であっさり反論されて、窮地に追い込まれてしまう。だったら、明言を避けて「抜本的改革を!」とか中身のない、なんとでもとれる、おためごかしの決まり文句や政敵の悪口でも言ってた方がよっぽどマシである。落選(無職)のリスクを背負ってまで、真面目に政治のことを語るなんて、まったくバカバカしいのだ。

ソクラテス、論破方法

彼はまずバカのふりをして出て行き、「今、正義って言ったけど、正義って何ですか?」という具合に相手に質問をするのである。それで相手が、たとえば「それはみんなの幸せのことだよ」などと答えたら、「じゃあ、幸せって何ですか?」とさらに質問を続けていく。これを繰り返せば、相手はいつか答えにつまるようになるだろう。そこで、すかさず「答えられないってことは、あなたはそれを知らないんですね。知らないのに今まで語っていたんですね(笑)」と思い切りバカにするのである。

ようするに質問し続ける限りは、質問者は常に攻め側で安全だが、逆に質問される側は矛盾しないようにがんばって回答しなければいけないので、長く議論をしていけば、いつかは攻め側である質問者(ソクラテス)が有利になるという話だ。こんなふうにソクラテスは「○○って何ですか?」と質問し続け、相手がボロを出したら反論しまくるという戦法で、偉い政治家たちを次々と論破していったのである。

「我思う、ゆえに我あり」

「我々の認識は、すべて嘘かもしれない……。そして、あらゆるものを疑うことができてしまう……。でも……、この世のすべてを疑えたとしても……、それを『疑っている私』がいるということだけは『疑えない』のではないだろうか! なぜなら、たとえ、その『疑っている私』の存在を疑ったとしても、やっぱり『疑っている私』がいることは真だからだ!」

「我思う、ゆえに我あり」

「人間は自由の刑に処せられている」もしくは「人間は自由に呪われている」

すなわち、人間とは、何を選んでいいかわからない世界に、頼んだわけでもないのに突然放り込まれ、「キミの人生なんだから好きに選びなさい」と自由を強制されて何事かを選択させられたあげく、その選択で失敗したら、「おまえが選んだんだからな!」と責任を負わされる、という宿命を持って生まれてくるのだ。

サルトルは、人間のそういう状況を指して、「人間は自由の刑に処せられている」もしくは「人間は自由に呪われている」と表現したのである。

だが、彼は、人間について悲観的なことをただ述べただけではなかった。彼は、そこで「むしろ、だからこそ、人間は、歴史に参加するべきである」と主張する。なぜなら、どの価値基準が正しいかわからないからって、何一つ選ばずにただ無為に人生を消費して生きていくよりは、間違っているかもしれないリスクを背負ってでも何かを選んで生きた方が、よっぽどマシだからだ。

だから、サルトルは、人間は「自由の刑」という呪いを背負いながらも、それから目を背けずに自ら「決断」して強く生きていくべきだと主張する。つまり、どうせ「自由の刑」を科せられているのだから、逆に、失敗の責任を引き受けて思いきり積極的に決断してやれ、という話だ。そして、せっかくやるのだから、いっそのこと、できるだけ大きな舞台……「人類を理想の社会、真理に向かって進展させる歴史という大舞台」に立ってみたらどうか、とサルトルは提案する。

「大多数の幸福をもたらさない国家なんか解体して、もっとよい国家につくり変えてしまえばいい」