まとめ:ひきこもらない
一つだけわかっていることは「世間で普通とされる暮らし方には自分はうまく嵌れない」ということだ。 例えば会社に勤めることや、家庭を持つこと。近所付き合いや親戚付き合いをこなすこと。同じ家に何年も住み続けること。きちんと洗濯をしてきちんと服をたたんで収納すること。1時間以上じっと座って会話を続けること。睡眠薬なしで毎晩同じ時間に眠って毎朝同じ時間に起きること。
生き方
既存の生き方や暮らし方は参考にならない。だから、誰も知らない新しいやり方を探さないといけない。じっとしてるとどんどん何かが腐っていくから、どこを目指せばいいのかわからないけれど、とりあえず家から出ないといけない。自分がそのときいる場所によって見えるものや考えることは変わるから、もっといろんな場所に行っていろんなものを見ないといけない。
狭い家を捨て、無数の情報と人間と資本が渦巻く街に出て都市の雑音の中に紛れてしまおう。生まれ育った土地の持つねばねばとした重力を振り切って自由に思考するために、あらゆる移動手段を駆使してさまざまな土地のさまざまな部屋を転々とし続けよう。
旅のスタイル
旅に出るときはいつも突発的だ。 「あー、もうだめだ。やってられん。なんかだめ。もう無理。もう知らん」 日常を過ごしていると少しずつこんな風な「あーもうだめだやってられん」がたまってくる。そしてたまった「あーもうだめだやってられん」が限界に達して堰を切ると、いきなり全てを投げ捨てて旅に出たくなるのだ。
旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない。景色なんて見ても2分で飽きる。食事も一人のときはできるだけ短時間で済ませたい性格なので、土地の名物などは食べず、旅先でも普通に吉野家の牛丼とかを食べている。あとはマクドナルドで100円のドリンクを飲みながら持ってきた本を読んだりスマホでネットを見たりする。 要は普段家の近くでやっていることを別の場所でやっているだけなんだけど、僕にとってはそれで十分楽しい。 多分、僕が旅に求めているのは珍しい経験や素晴らしい体験ではなく、単なる日常からの距離だけなのだ。
日帰りできない距離まで来てしまったときの「もう帰れないし泊まるしかないな」という諦めのような解放感もいい。
自分の部屋で「あーもうだめだ」とうだうだ考えているよりは、よく知らない場所で「あーもうだめだ」とうだうだ考えているほうが少しだけ気分がマシだ。それだけでも来てよかったのかもしれない。
遠くまで海外旅行をしたとしても、物を見る姿勢に新しさがなければガイドブックに載っている情報をなぞるだけで何も新しい気づきを得ずに終わるだろう。 逆に、細かい場所に面白さや新しさを見出せる視点さえあれば、家の近所を散歩しているだけでも毎日新たな発見がある。それはさらに狭い範囲でも言えるかもしれない。 つまり、町内まで行かなくても自分の体内でも知らない場所はたくさんある、ということだ。
シェアハウスをやっている理由
シェアハウスをやっている理由の一つは、一人暮らしは無駄が多いと思うからだ。 例えばキッチンやリビングや風呂やトイレなどの設備は、自分が24時間使い続けるわけじゃないので共有で構わない。むしろ、自分専用キッチンや風呂やトイレを持つのは贅沢だというくらいに思っている。実家に住んでいるときはそういうものは全部共有なのが当たり前として暮らしていたものだし。
会話や集まりが苦手だから、能動的にコミュニケーションをしなくてもなんとなく周りに人間がいるという仕組みを作りたくて、それでシェアハウスをやっているのだ。
チェーン店が好きだ
店に行くときはチェーン店がいい。チェーン店の店員はマニュアル以外の余計なことを話さない。個人商店のおっさんのように「このへんに住んでるんですか」とか「最近よく来ますね」みたいな余計なことを言わない(そういうことを言われるともうその店には行かなくなる)。
飲食店だと、先に会計を済ませるセルフサービス方式か、食券制のところがいい。あとで精算をする方式だと、食事をしたあとに店員と会話して会計をしなければいけないというタスクを残していることが、食事中ずっと軽い心理的負担として残り続ける。先会計だと、嫌なことは全て先に済ませてしまってる感があって気が楽だ。
後会計方式だけど、回転寿司は好きだ。発声しなくても自動的に食べ物が回ってくるからだ。一言も発さなくても目の前に流れてくるものを取り続けるだけで食事ができるというシステムは本当に素晴らしい。 僕は回転寿司でレーンに流れていないものを直接注文することはほとんどしない。発声するのがしんどいのもあるし、そもそも何を食べたいかを考えるのが面倒だというのもある。
カフェイン一切摂らない
自分はもともと夜の寝付きが悪くて夜更かしをしがちな上に、寝起きも悪くて朝なかなか起きられない人間だった。それでも会社に勤めているときは「無理にでも毎朝起きなければいけない」という強制力が働いていたからそれほど生活は崩れなかったのだけど、会社を辞めた途端、夜更かしも朝寝坊も好きなだけできるようになってしまったため、どんどん睡眠リズムが一般的なものからかけ離れていった。 最初のうちは「好きなときに好きなだけ眠るのが無職の醍醐味だ」なんてうそぶきながら不規則な時間に眠る生活を楽しんでいた。「夜行性のほうが普通と違ってなんかカッコイイ」みたいな中二病的な思い込みもあったかもしれない。だけど、日が沈む頃に起きて日が昇る頃に眠るような昼夜逆転生活を続けていると、だんだん精神的にも体力的にもしんどさを感じるようになってきた。 夜しか起きていない生活だと昼間しか開いていない店には行けない。知り合いと会おうと思っても生活リズムが違いすぎて全く会えない。日の光を浴びないと気分も鬱々としてくる。
毎朝起きなければいけない用事があれば生活リズムは保たれるだろう。だけど僕は朝起きるのがすごく苦手だし、そもそもそれが嫌で会社を辞めたのだ。じゃあ夜早く寝ればいいんだけど、寝付きが悪くてなかなか眠れなくて、ついついずっとネットなどを見続けてしまう。結局辿り着いたのは、ネットショップ経由で睡眠薬を個人輸入するという方法だった。 小さな箱に梱包されてシンガポールから届いた睡眠薬は僕にはよく効いて、眠れないときでも1錠飲んで30分ほど待てばスッと眠りに入ることができた。ずっと苦しんでいた精神的な悩みがこんな爪の先ほどの化学物質を脳に入れることであっさり解決するなんて、科学の力はすごい。文明は偉大だ。 そんな風にここ数年は睡眠薬のおかげで毎日一定の時間に眠れるようになってそれなりに安定した生活リズムで日々を過ごしていたのだけど、この間突然、その睡眠薬が輸入禁止になるというニュースが流れてきたのだった。やばい。これからどうやって眠ればいいんだ。また昼夜逆転の生活に戻るのか。 別にその薬は海外から輸入しないと手に入らないというレアなものや危険なものではない。普通に日本でも病院に行けば処方される平凡な薬だ。だけど定期的に通院するというのが僕はすごく苦手なので、病院に通って薬をもらい続けるのは多分無理だ。 なんとかして薬なしでうまく眠れるようになるしかない。どうすればいいんだろう。 そう思っていたときに、友人が「カフェイン一切摂らないようにしたらスムーズに眠れるようになった」と話しているのを聞いて、自分もカフェイン断ちを試してみようと思ったのだった。
僕はコーヒーとチョコレートが大好きだったのだけど、一切摂るのをやめた。ちょっとつらいがしかたない。お茶も、緑茶や紅茶や烏龍茶はカフェインが入っているので、麦茶やハーブティー以外飲まないようにした。コーラもカフェインが入っているのでだめだ。そんな生活をしばらく続けてみた。 カフェインを抜いた効果は結構如実に現れた。 多分もともと僕はカフェインが効きやすい体質なのだろう。昔からコーヒーを2杯も飲むと心臓がバクバクして頭が覚醒しすぎて変な感じになってしまうのは自覚していた。寝付きが悪いのはカフェインの影響もあるかもしれないと薄々思いつつも、「夜にコーヒーを飲まなきゃ大丈夫だろう」とか「コーヒーじゃなくてお茶なら飲んでもいいだろう」と思っていたのだけど、見積もりが甘かったのだろう。