Written by Manabu Bannai

まとめ:幸せになる勇気 by 岸見 一郎, 古賀 史健

BOOKS


スポンサードサーチ


共感とは

尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。まずは、ありのままのその人を見るのです。あなたはまだ、なにも見ていないし、見ようとしていない。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。さらには、その成長や発展を援助する。それこそが尊敬というものです。

たとえば、まったく勉強しようとしない生徒がいる。ここで「なぜ勉強しないんだ」と問いただすのは、いっさいの尊敬を欠いた態度です。そうではなく、まずは「もしも自分が彼と同じ心を持ち、同じ人生を持っていたら?」と考える。つまり、自分が彼と同じ年齢で、彼と同じ家庭に暮らし、彼と同じ仲間に囲まれ、彼と同じ興味や関心を持っていたらと考える。そうすれば「その自分」が、勉強という課題を前にどのような態度をとるか、なぜ勉強を拒絶するのか想像できるはずです。……このような態度を、なんと呼ぶかわかりますか?これこそが「共感」なのです。

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。

人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」だと考えます。つまり、孤立したくない。「ここにいてもいいんだ」と実感したい。孤立は社会的な死につながり、やがて生物的な死にもつながるのですから。では、どうすれば所属感を得られるのか? ……共同体のなかで、特別な地位を得ることです。「その他大勢」にならないことです。

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。「わたしであること」を認めず、他者と自分を引き比べ、その「違い」ばかり際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に嘘をつく生き方に他なりません。

アドラーの語る「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されているのです。

仕事の関係と交友の関係

仕事の関係とは、なんらかの利害、あるいは外的要因が絡んだ、条件つきの関係です。たとえば、たまたま同じ会社にいるから協力する。人格的には好きではないが、取引先の人間だから関係を保つし、助けもする。しかしながら、仕事から離れてまでその関係を保とうとは思わない。まさに仕事という利害によって結ばれた、「信用」の関係です。個人的な好悪を問わず、関係を結ばざるをえません。 一方、交友には「この人と交友しなければならない理由」が、ひとつもありません。利害もなければ、外的要因によって強制される関係でもない。あくまでも「この人が好きだ」という内発的な動機によって結ばれていく関係です。先ほどあなたの言った言葉を借りるなら、その人の持つ「条件」ではなく、「その人自身」を信じている。交友は、明らかに「信頼」の関係です。

分業社会においては、「利己」を極めると、結果としての「利他」につながっていく。

自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じる

求めよ、さらば与えられん

「運命だと信じること」を決意しただけ

哲人 どうやって運命を察知するのでしょう?
青年 わかりません。……きっと「そのとき」がくれば、わかるのでしょうね。わたしにとっては未知の領域です。
哲人 なるほど。それではまず、アドラーの基本的な立場をお答えしましょう。恋愛にしろ、人生全般にしろ、アドラーは「運命の人」をいっさい認めません。
青年 われわれに「運命の人」はいない!?
哲人 いません。
青年 ……ちょっと、それはさすがに聞き捨てならない話ですよ!
哲人 なぜ、多くの人は恋愛に「運命の人」を求めるのか? どうして結婚相手にロマンティックな幻想を抱くのか? その理由についてアドラーは、「すべての候補者を排除するため」だと断じます。
青年 候補者を排除する?
哲人 あなたのように「出会いがない」と嘆く人も、じつは毎日のように誰かと出会っているのです。よほど特別な事情がない限り、この1年のあいだ誰とも出会わなかったという人はいません。……あなたもたくさんの人と出会っていますね?
青年 同じ場に居合わせる、という程度も含むのでしたら。
哲人 しかし、そのささやかな「出会い」を、なにかしらの「関係」に発展させるには、一定の勇気が必要です。声をかけたり、手紙を送ったり。
青年 ええ、そうですとも。一定の勇気どころか、最大限の勇気が必要です。
哲人 そこで「関係」に踏み出す勇気をくじかれた人は、どうするか? 「運命の人」という幻想にすがりつくのです。……いまのあなたがそうであるように。 目の前に愛すべき他者がいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完璧な、もっと運命的な相手がいるはずだ」と目を伏せる。それ以上の関係に踏み込もうとせず、ありとあらゆる候補者を、自らの手で排除する。

もちろん、誰かとの出会いに「運命」を感じ、その直感に従って結婚を決意した、という人は多いでしょう。しかしそれは、あらかじめ定められた運命だったのではなく、「運命だと信じること」を決意しただけなのです。 フロムはこんな言葉を残しています。「誰かを愛するということはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」と。

「世界はシンプルであり、人生もまた同じである」